北緯52度de. 〜ドイツ平地暮らし見聞録〜

やもめ生活見聞録、学習したことのメモ兼忘備録、 愉快な仲間たちとの生活記録。 夢は北緯52度にある国々を訪問すること。 今読んでいる本は「ハリーポッターと謎のプリンス」 記録文章はすべてあくまで一個人の個人的見解で、 その当時のもので、勘違いや思い違いもあります。 無断転載はご遠慮ください。

ふと思ったこと

何十年たっても変わらないものってあるんだなぁと驚いた話

昨日だったかな、
イギリスのヒースロー空港が閉鎖のニュースを
YouTubeの日本のテレビ局のニュースで見た。


日本からの卒業旅行だという大学生2人が、
日本語でインタビューに答えていた。

日本では、卒業シーズンなのだなぁと思いながら聞いていた。

面白かったのが、
インタビュアーに「航空会社から連絡はありましたか?」と聞かれ、
その二人組が
「メールは来てたんですけど、英語わからないんで」と返答していたこと
(「英語できないんで」だったかもしれない)。


この「円安」に日本からわざわざ
「卒業旅行」で
「イギリス」に来て、
航空会社からのメールに
「英語がわからない」だって?!
大学生の若者が?!
なんで、英語を話す国に来たの?!
勇気あるなぁ〜。

とても衝撃的だったので、
20代女子にこの話をしたら
目を見開いて、絶句していた。


10代男子にも同じ話をしたら、
オチ(私的には「英語わからない」って部分)を聞いたところで
「バカヤロー」と苦笑しながら反応した。


この話をしたみんなが同じ反応をしてくれて、ちょっと満足。

トラブルにあった方々が(1500便以上に影響出たそうで)
無事に移動できてるといいなと思う。


実家の母がヨーロッパに来た時も、
英語をまったく話せず(サンキューぐらいは言えると思うが)

野生の勘で乗り換えて最寄りの空港まで来たが
当時で60ちょい前だった気がする。
それから20年ほど経って、
2020年代の大学生でも、
そういう感じの人がいるんだということに心底驚いた。


でも、人によってはそんなものなのかも。
日本に旅行に来る外国人観光客だって、
日本語全然喋れない人もいるもんね。

先日、娘が友達(全員20代ドイツ人)と3人でイギリスに行っていたけれど、
そのうちの一人が、
ロンドンの地図(オフラインでも観れるOsmaってやつ)もスマホに入れてないし、
もしものためのドイツ大使館の場所も確認していないし、
現金も持っていないし(カードは持ってる)、
一瞬、はぐれてしまって、
他の二人におんぶに抱っこで大変だったと言っていたもんなぁ。

国籍も、年齢も性別も、やっぱり関係ないもんだ、と
結局は、そこに行き着くね。

ちょっと前も同じようなことを何かで思った気がする。

生活スタイルが変わったなぁと思う春2025

気がつけば3月も下旬。
朝起きた時の外の明るさが日増しに強くなってきている。
そりゃそうだ。もう直ぐ春分だもの。
外ではクロッカスの花が咲いて、そろそろ咲き終わり。
ラッパスイセンが多分色々なところで咲き始めてるんじゃないかな。

以前は毎日のように更新していたブログも
今月は全く手付かず。

毎朝、パソコンは触るけど、ブログを開けないからだなぁ。
まず人のものを読みに行かないし、
自分の事も記録しないからだな。

たまに、どういう記事に訪問があるのかとアクセス解析を見たりするけど、
それすらも今月は


やはり、状況がひとつ変わっただけで、
生活スタイルも変わるもんだなぁ。

やっている事自体はそんなに変わっていないはずなのに、面白い。
でも、劇的には変わってないけど、
少し新しい事もあるといえばある。

興味の対象も変わっていくし、
関わる相手も変わってくるし、
使うものも変わってくる。

それでご機嫌に過ごせてるんだから、幸せだよなぁと思う。

もちろんちょっとイラっとする事もあるけれど。
嫌な事は記録しておくとまた目に入って思い出しちゃうから
いい事ないって気がついたから、
こまめに記録するのやめたし、
目についたら削除していこうと思うようになったな。

 
自分への注意喚起で、残しておくべき事もあるといえばあるんだけど。

今月は、そういう意味では知人からの連絡が 連続してあった。
そして、やっぱり、「おせっかいはやめるべき」だなぁと実感した。 
今までがお節介すぎたなって。
そういうのの繰り返しでようやく目が覚めて、
「この人からの話は、この距離で対応」ってのが掴めたというか、
まず立ち位置を決めるって事ができるようになったと思う。


何はともあれ、全体的に見ると、心穏やかに過ごせているので、
何かのせいでも誰かのせいでもなく、
その状態に自分を持ってこられた事がとても嬉しい。

現状に不満があって、
人の事が気になって
チェックしないと、比較しないと、それを人に言わないと気が済まない
みたいな場所に入り込んじゃっている人が
幾らかでも、そういう楽しくない場所から、自力で遠ざかる事ができるといいなぁと思う。



唐揚げは、鶏もも肉でも胸肉でもどっちでもいいなと思うようになった。

鶏もも肉は、大体、2kgの特売のときに購入する。
骨つきなので、
骨から肉を取り分けて、
すぐ使う肉、
冷凍する肉、
鶏ガラに分ける。

鶏ガラは、生姜の皮とネギの青いところ(どちらも冷凍しておく)と
中華風鶏ガラスープにしたり、
ニンジンと玉ねぎの皮などの野菜の皮と洋風のスープをとったりする。

お肉は、
大抵は、面倒なので、じっくり裏表焼くソテー(味付け塩コショウのみ)なのだけど、
数ヶ月ぶりに唐揚げにしてみた。
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一晩、タレにつけて、
小麦粉と片栗粉を半々の粉をつけて揚げ焼き。

普通に美味しくできたのだが、
食べながら、
数ヶ月前は確か胸肉で作って、それでも十分美味しかったなぁと思った。

同時に、少し年上の友人宅では、
唐揚げは胸肉で、食べ盛りの子供達も
もも肉の唐揚げは油っこくて嫌がると言っていたなぁと
思い出した。
 
確かに、もも肉の方が脂っこいよなぁと。
自分はどっちも好きだけど、骨から外す手間を考えたら、
これまでのように、もも肉にこだわらなくても、
まぁ、これからは胸肉で唐揚げすればいいか、と思った。
(と、前回胸肉で作ったときも思った気がする)

 

嫌なことは書いたら捨てるべし&いつか手に入れたいと思っている本

新学年の新学期が始まった。

学校生活でもいろいろ連絡が増えてくるだろうし、
なにぶん新学期は、連絡が多いので、まめにファイルをしなければと
書類を整理。

ついでに古い手帳の中身もチェック。
そうしたら、しんどかった記憶がよみがえってきてしまった。

これはまずいぞ〜。
嫌だったことを吐き出しておくのは大事だけど、
始末しないと、こうやって記憶呼び起こし剤になってしまう。
デジタル記録もそうなので、気をつけているつもりなのだけど、
ここのところ忘れてた。

どうせドキドキするなら、楽しいことでドキドキうきうきしたいもんな。

ということで、該当箇所は廃棄。

辛いことがあったとに、心が慰められた楽しい記録だけを
再びチェック。

その中で、
何か中国語のことだったんだけど、思い出せないでいた記事のタイトルを発見。
考える人というタイトルのサイトで紹介されていた
「不思議な中国語」という連載記事

掘り出せて本当によかった。

そのほかにも、立ち読みしてよかったなぁ手に入れたいなぁと思った漫画も
当時、辛かったんだなと思うこともあるけど、
今でもこれは使えるな、有効だなと思うこともあるなと思った。

漫画では当時
「赤髪の白雪姫」が、とても良かったんで、
改めてアニメを見始めた。
アニメで見ると、声や色に惑わされて、言葉の重みが違ってくるけど、
英語字幕やスペイン語字幕で見ることができるのはありがたい。
今年、全国4箇所くらいで、漫画の原画展やってるんだよね〜。
8月は京都で、9月は秋田だったかな。
見に行ける環境のある人が羨ましい。

「生まれ変わってもまた私と結婚してくれますか?」と
「僕と君の大切な話」も
ホロリとしつつもふきだしちゃうような楽しい気持ちになったねぇ。
無料立ち読みしただけだけど

「アプフェルラント物語」は思い出の一冊で、
漫画にもアニメにもなってる(今検索したらOSKの舞台にもなってた)

高校生の頃に貸してもらって読んでタイトルだけ覚えていたんだけど、
アニメを見てみて、「いいこと言うなぁ〜」って数カ所で思った。
いいなと思った言葉。
「人間大事な時に大事なことに気づくとは限らない」
「知識が人を幸福にするとは限らんが、それは知識が多すぎる場合。」
「知識を蓄えたほうがいい。でないと青い鳥をみすみす逃すことになる」

高校生の頃は気がつかなかったから、
一度読んだ本をまた読み返すってのも、
読み返したいと思うくらいの記憶もいいもんだ。

読書記録もまめにつけておきたいと思う。
 

意図せずしてうまいことやったんやなぁ、と思った話

日本で武者修行中の娘イチが、
農家に寝泊まりさせてもらって、
農作業を手伝う、
WOOFっていうシステムを利用して、
近畿地方の農家に先月10日ほど滞在していたときの話。

 
そこでは、手の空いた人が料理をするそうなのだが、
レシピを見なくても、
意外に料理が作れるということに気がついたそうだ。
これまでは、レシピを見て、
作りたいものの材料を揃えて作っていたので、
(うんうん、自分もそうだった) 
適当に作ってもそれなりの料理ができたのが
自分でも不思議だったそう。
どうしてなのか考えてみた結果、
「だいたい、この調味料を入れたら、
こういう味になるだろうということがわかるから」
だと気がついたと。
さらに、それを、なぜできるかというのも考えたらしい。
(面白いこと考えるな〜) 
ドイツの自宅で食事をする度に、
なんか不思議なものを作った母親が
「今日のご飯のおかずには〜、何が入っているでしょう〜か?!」
と聞くことが多かったから、
それで、なんとなくの刷り込みがされてるのかも
っていう結論に達したそうだ。
 
たしかに、うちには、定番料理ってのは、ほとんどない。
レシピなしで適当に作ると
適当な味にしかならないことが多いので、
基本、レシピを見て料理を作る。
家にある材料で作れるもので、
合わせ調味料(めんつゆとか、ポン酢とか焼肉のタレ)もなくて、
毎回その都度合わせて作るから、
基本の調味料を使う。
そういう実験的作り方だから、
自慢したくて、「今日は何が入っているでしょうか?」と
自然に聞いているのだと気がついた。
嬉しい誤算というか、
面白いな、と思った。
私からの視点で行くと、
お通夜みたいにシーンとした中で食事をするのが普通とか、
察してくれよオーラを出すのが当たり前
という風になって欲しくなかったからで、
ただの話のネタだった要素が強いんだけど。
振り返ってみれば、
「あれ?今日の、これ、xxxが入ってる?」とか、
「何、これ?」って
子供達から言われることもたまにあるもんな。
それは、やっぱり、両親が植物に興味があって、
小さい頃から植物園に行く(連れて行かれる)のが普通で、
匂いかいだり、触れたり、料理に使ったり、
ウンチク垂れたりしてるから、インプットは十分だわな。
ある意味英才教育してたみたいなもんだと
いえないこともない。
あと、好き嫌いや、
健康上の理由で食べられない作物があるとか
そういう人も周りにあったから、代用で作って、ってことも。

結局は、「自慢したい欲求」から発生してた行動なんだけど。
 
子1が言うには、
ティーンエイジャーの頃の小中高校生向けのメッセでの体験も大きいそうだ。
匂いの嗅ぎ分けコーナーに行ったときの話。
子2が、当時の年齢(10歳くらい?)で、
チョコレートとコーヒーの匂いを嗅ぎ分けられたことがあった。
 
それが、すごいことだと
係りの人驚かれたっていうのがあるんだって。
(そう言われれば、そんなこともあったかもな)
その話を聞いた時、
小さい頃に、よく通っていたsealifeの
学習コーナーに、似たようなのがあったから、
意図せずして訓練されてたんではないかと思った。

チョコレートの香りのチョコレートコスモスや、
いちごの香りのストロベリーミント、
りんごの香りのアップルミントなど、
いろいろな香りの植物に触れる機会も
確かに多かった、かもしれない...


それを イチに言ったら、
その頃の記憶が
蘇ってきたようだった。
そして、結局のところ、なんか、
いろんなことが、ものすごくありがたくなった、
ありがとうと言わねばならぬと思ったから電話した
とイチが言った。
偉いよなぁ、そんな気持ちに自然となるなら、
と私は、思った。
(アニメやマンガなら、死ぬ前の最後の言葉みたいでフラグ立ちそうだ)
一方で、ちょっと心配にもなった。
個人的には、「極端な、よかった探し」をすることや、
「感謝しなきゃ」とか「前向きに思わなきゃ」という
「ねばならない思想」や
「そっちへ持って行こうと努力しないといけない思想」なのは
極めて取扱注意で諸刃の刃だと思っている。
あくまで、「極端な」ってことだけど。
痛々しい 「ネバネバ思想」をつい最近見かけたせいもある。本人は幸せそうだから別に気にしちゃいけないのだが。
 
だから、
もしも、そういう風に、今、
「前向きにならなきゃ」とか、「自分は恵まれているんだ」って
「自分に思いこませようとしている精神状態」であれば、
それは心にも体にも大変健康に良くないので、
そのへんは注意したほうがいいと思った。
思ったから、 
イチにもその場で注意した。
自然にありがたい気持ちになれるのはいいけど、
自主的にというのとは、文字は一部同じでも、中身は違うし。

ま、それは、ただの心配性の杞憂だったんだけど。



 そんなこんなの話をしていて、
あんまり、いいことばっかり言ってるのもね〜という話になったので、
ちょっと軽い悪口大会。
 
変だな?と思う場面に遭遇したときに、
「なんやそれ?おかしくない?」って、
気の置けない人には吐き出すのも大事だなと思った。

悪口だけにならない程度に
情報を共有しておくって大事だね。

受け取り手の性格にもよるから、
本当に気をつけないといけないけどね。

 

軽い悪口大会で、笑いあって、

人間はやっぱりある程度の成長時期を過ぎると、
成長できること数は減るし
スピードは下がっていくというか、
できないことや、できなくなることのほうが
増えていくんだなと改めて思った。

バランスよく、
できなくなってることを素直に認めて、
できることを見ていくって 、
自分に対しても、他人に対しても大事だとも思ったよ。 
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